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10.12.15(水) 

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◆読書 壬申の乱の謎

 

 

 壬申の乱はクーデターであったというのは私の中では以前から常識となっていますが、問題は大海人皇子の正体ですね。

 井沢さんの説では韓皇子(漢皇子)、つまり皇極天皇の連れ子としていました。つまり、皇極天皇が舒明天皇と結婚する前に結婚していた渡来人男性との間にできた子であり、皇極天皇が舒明天皇と結婚してから生まれた天智天皇にとっては父違いの兄であるというのです。

 関さんは蘇我氏の男子と皇極天皇との間にできた子供で、やはり天智天皇の父違いの兄としています。そして、その蘇我氏の男子の候補の中に聖徳太子も挙げておられます。聖徳太子の息子であったかどうかはわかりませんが、天武天皇は蘇我氏系の皇子というわけです。だから、壬申の乱が起きたとき、蘇我氏や尾張氏が味方について大友皇子の官軍をいとも簡単に打ち破ったということです。

 うーん、すごい説得力がありますね。

 この本の中でも天智天皇と中臣鎌足は大悪人に書かれています。実際、人民には全く人気はなく、すぐ相手を殺していたようですから・・・

 天智天皇は舒明天皇と皇極天皇の子で、一見父母ともに天皇というサラブレッドのような存在ですが、皇極天皇自身は敏達天皇の曾孫であり、父も祖父も天皇ではない、しかも女子なので皇位継承権はなかったわけです。たまたま再婚した男が天皇になったので天皇になれたという変わったケースです。
 しかもこの後、重祚して斉明天皇として返り咲きするので二度びっくりです。二度結婚して二度天皇となった人はとても珍しいですよね。いかに皇位継承権を持った有力な皇子たちが中大兄皇子や鎌足らに次々に殺されていったかがよくわかりますね。

 舒明天皇も皇極天皇の父の兄弟のようですし、先代の推古天皇とは血のつながりがなかったのですから、有力なライバルがみないなくなったので位につけたようです。このころは推古天皇が自分の息子を位につけようと他の皇子たちを殺していたのですが。

 中大兄皇子と鎌足が暗殺計画を練り、大海人皇子が実行して、有力な皇子たちを闇に葬り去っていた。そして最後の最後は中大兄皇子の息子を有力豪族とともに正々堂々と倒した大海人皇子・・・壬申の乱って深いですねぇ。

 天武天皇亡き後の持統天皇の話もコワイのだ・・・


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