水したい(メディカル憩室その11)

 


 今日は水死体の話。いえ、「たいした話」じゃないです。
 遠い昔、日本海に面したある町で水死体の検屍をしたことがあります。よく晴れた夏の日のことでした。漁船の網にひっかかったとかで、港にあおむけに置かれていたその仏さんは、行方不明になってから1ヶ月程度はたっていたようで、水を吸ってズングリムックリしていました。
 カーネル・サンダースの体型というとよくわかるのではないでしょうか。しかもお腹は腐敗したガスでパンパンで、へそがみごとなデベソになっています。顔もむくれ、人相や年齢などはさっぱりわかりませんでした。ただ、男ということだけが見て取れただけです。

 服をはぎとると服と皮膚との間からフナムシ(やその他の虫?)がいっぱい出てまいりました。文字どおり蜘蛛の子を散らすように走って逃げていきましたっけ。
 死因も身元もさっぱりわからないので、警察のベテラン刑事と、「マ、コンナトコデショウ」という検屍報告をなんとか作成しました。いや、暑かった、すごく暑苦しかった一日でした。

 その後仏さんの父親が確認したという話を聞きました。あれほど変わり果ててもさすがに自分の子ならわかるんだなと感心したものです。また聞きですが、父親の話では発見時点から西へ50kmほど離れた崖から身投げをしたということでした(そこに靴があった)。

 いやぁ、水死体の検屍は難しいです。二度とやりたくないです。今なら北にあるあの国から流れてきたのじゃないか、とかそういうことも考えないといけないでしょうしね。

 遣隋使や遣唐使の時代、日本から大陸に行く往路は目標が大きいので、よほど風が逆にでも吹いていない限り大陸のどこかに流れ着いたということです。しかし、帰路が問題で、大きな海流が日本の両側をかなりの速さで流れているために、川のどまんなかに突き出た石に葉っぱがひっかかることが少ないがごとく、かなり遠い海の果てまで流されたり吹き戻されたりすることが多かったようです。
 鑑真が何度も失敗して失明したことは有名ですし、阿部仲麻呂などはとうとう帰朝できなかったくらいです。朝鮮半島廻りなら安全だったようですが、制海権がなかったようです。
 前述の仏さんの場合は、1ケ月くらい付近の海を漂っていたことになりますが、よくオホーツクまで流れなかったものです。

 さて水死体に限らず、検屍というのは医者の重要な業務の1つです。もちろん犯罪の可能性があるかどうかを判定する必要があるからですが、その可能性がない場合も死因を明らかにすることにより、疫学調査に役立てることができるからです。
 といっても、その人の人生に決着をつけてさしあげるというのが最も大事な理由かもしれないな、と最近は思うようになってきました。

 上の街のような田舎では検屍する医者がいない(実際はいるのだが呼んでも来ない)場合は、屍体を救急車に乗せて救急病院に運んでくることが多いのです。生きている患者の座っているカーテン越しに、屍体についてみんなで討論しているのは考えてみるといささかブラックかつミステリアスな光景です。

 そう言えば昔からある言葉遊びに「シンダイシャタノム」という電報をどう解釈するか、という問題がありますね。もちろん、「寝台車たのむ」と「死んだ、医者たのむ」の2通りです。
 でもよく考えたら、死んでたら(坊主は必要だが)もはや医者は要らないと思います。責任者(作成者)出てこい!


 

 

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