創作〜南茶帝大学医学部 第1章 (メディカル憩室その18)

 


 創作です。文章中のいかなる人物・組織も実在はしません。

 ある大都市の郊外のベッドタウンに南茶帝(なんちゃってぃ)大学という三流私大がありました。理事長は地元の名士で、その一族は代々、村長、町長などを歴任してきました。口の悪い人は自分の村や合併してできた町を私物化した悪の一族と呼びますが、本人は気にすることはありません。
 そのとおりであることはよく知っているし、それは当たり前のことだったからです。

 理事長の父は戦後のベビーブームの折に大学を誘致しようと思いましたが、断られたために懇意の政治家を総動員して自分でいちから私立大学を作ることにしました。

 つくった大学はあたりました。日本経済が優秀な働き手を求めるのに従い、大卒者も必要とされたからです。ところが理事長が父から引き継いだ 20年ほど前から、入学志願者がなかなか増えなくなりました。合格者の大部分がよその大学へ流れるようになったのです。いくらバカでもこんな大学には入りたくないという贅沢な学生が出てきたからであります。

 理事長は考えました。どうしたら大学の格を上げることができるか。お金ももっと欲しい。そうして思いついたのです。

医学部を作ろう!!

 彼の考えはこうです。医学部を作れば開業医の子弟からたんまりと寄付金、授業料、(●口入学金)を得られる。それに大学病院だといい医者を安くで集められる。患者から訴えられることも少なかろう。他の学部の格も少しはつられて上がるだろう。

こりゃやるっきゃない!!

 さすがに生まれながらの××、いいところに目をつけたものです。早速配下の政治家を総動員したり、ノーパンシャブシャブ好きなお役人を接待して、3年後に許認可をとりつけました。
 あちこちから借金はしましたが、もともとのお金持ち、それから1年もしないまに山の中に立派な大学病院が建ってしまいました。

 問題は医者の手配です。近くの国立大学の教授連に話をつけて、本学の教授選に敗れたか、勝てそうにない、そこそこの医者を送ってもらうように手はずを整えました。
 旧帝大と呼ばれる大学には50歳を過ぎても万年助手の医師が結構くすぶっているのです。そういう医者を教授や助教授という肩書きでつってくるわけですが、つられるほうも文句はありません。給料は国立大学の給与体系がもともと極貧に近い設定ですので、それと合わせてちょっとイロをつけておけば文句は出るはずもありません。助手から教授あるいは助教授と2階級以上の特進なのですから、給料もっとくれというずうずうしいヤツはそんなにはいません(・・・多くの例外あり)。
 大学病院でない普通の3流病院なら年俸2千万円出してもロクな医者は集まりませんが、大学病院ならそこそこ優秀な医者がはるかに安くで雇えます。
 肩書きをやる代わりに給料を引いているだけなんですが。

 こうした人は結構国内では有名だったりしますので、「●●病の権威」とでも名乗らせば患者も集まってきます。
(臨床をせずに医師免許だけ持っているペーパードライバーのような)あまりに研究一本の医師は困りますが、大学から地方の病院に飛ばされて臨床をバリバリやっていたいわゆる「都落ち」の医者を教授にしてあげれば、恩返し、ご奉公という感じでせっせと働いてくれます。
 しごく安い給料で・・・ (続く)


 

 

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