復活!メディカル憩室

告知(メディカル憩室その4)

 癌の告知が求められている。

 

 慢性疾患は気楽に告知するのに癌を告知しないのはおかしいのではないかという意見がある。たしかに癌を告知しない医師でも肝硬変の場合は患者に気楽に伝えることが多い。しかし、肝硬変というのは肝癌の前癌状態であり、肝癌にならなくても余命を著しく縮める因子(じわじわと死に致る病)であり、癌の告知と本質的な違いはないとも言える。

 

 私の過去の経験だが、高血圧や糖尿病などで入院していた高齢の患者に気軽に「あなたの病気はもう完全には治らないから気楽につきあっていく必要があるね。薬はちゃんとのんでね」と言っていたら、その人は入院していた病室の窓から飛び降りて自らの命を絶ってしまった。こちらは良性の慢性疾患ということで気楽に考えていたのだが、患者は決して気楽に受け取らないこともあるのだと痛感させられた。
 このように良性疾患でも正確に告知するのは難しいものであり、悪性疾患の場合はなおさらである。

 

 アメリカで癌の告知が盛んなのは、訴訟社会だからであることによる。本人が癌であることを知らずに死んだ場合で家族に告知していなかったり正確に理解していないと、同居していない遠縁の親戚が医師を誤診ではないかと訴えたりする。告知しないで治療を受けていた患者がたまたま他の施設で治療を受けて末期癌だと言われたりすると、元の主治医をやはり誤診であるとか責任不履行だと訴える。
 なにしろ自分がこぼして太ももに火傷を負った婦人が、ホットコーヒーの温度が高すぎるから重傷になったとかで店を訴えたら、陪審員が店に数億円の支払いを命じるお国柄だ。
 あの国にはMRI検査を受けてそれまで持っていた超能力が失われたと言って勝訴した例もある。
 こうしたことがよくあるから、アメリカの医師は自らを守るために患者とは距離をおいて、冷然と告知するのである。そうして治療法さえも患者に選択させる。つまり責任を相手に完全に押しつけるわけだ。

 

 日本ではどうだろう。癌と告知されてそのショックを消化しきれていない呆然自失状態で、いきなり「1・2・3とある治療のうちから自分で選べ」と言われたら、みなさんはどう思うだろうか。おそらく多くの人は冷静に判断できないし、ある種の非情さをも感じるだろう。
 告知するしないを法令化することは難しい。ケースバイケース、すなわち患者と長くつきあって相手の求めるものを知り(それはそれで非常に難しいことだが)、よく考えてから告知すべきときは告知するというのがベストではないかと私は思っているのだが。
 しかし、そんなことは可能だろうか。

 

 教訓: 患者はすべてを知る権利はある。ただし知ったあとで生じる責任もある。