前回「Claude で note を書く実験」、「Claude で note を書く実験(2)」の続きです。
今回は別のパソコンの Claude(デスクトップアプリ) に note を書かせたプロンプトを導入しようとした件。おもしろいことが起こりました。
Gemini や chatGPT はブラウザベースで運用しているので、別のパソコンにて作業するときも前回どのパソコンで作業したとしても 普通に以前の状態から作業が続けられます。
しかし、 Claude は デスクトップアプリ版なので、別のパソコンに入れた場合は認証が必要になったり、履歴が別々になったりします。
履歴が別になるのは管理上メリットもあるのでいいのですが、以前スキル化した「note を書かせるプロンプト」が別のパソコンの Claude では使えません。
別のパソコンにも入れようと、Claude にプロンプトを渡してみると「プロンプトの中で相手の心の弱さをえぐり出し、有料記事に誘導しようとするのは道義に反する」みたいなことを言ってやってくれませんでした。
元のパソコンではそんなことは一言も言わなかったのに。
うーん、どうしよ。
!
いつもは LLM は Sonnet5 を使っているのですが、下位モデルの Haiku にしてみます。
新しいチャットを開いてプロンプトを渡してみると、書いてくれました。スキルにもしてくれました。
有能だけどおカタすぎる秘書がだめなら、もっと若くてパッパラパーな秘書のほうがノリがよくて使い勝手がよかったという話です。
で、書いてもらったのが下のエッセイ。ちょっと薄味かも?
土台なき者の鑑賞学
〜Etsyの画集から始まる、小さな美学史〜
【導入】
あなたが、深夜、スマホの画面を指でなぞるとき。
Etsyでダウンロード購入した2000円の画集フォルダを開くとき。
心の奥底で、こう呟いていないだろうか。
「本当は、こんなんじゃダメなんだ」
「本物の芸術を愛する人間は、もっと違う道を歩んでいるはずだ」
「自分は、綺麗だと感じるだけの、浅い人間なんじゃないか」
その声が、どれだけ誠実で、どれだけ正直で、そしてどれだけ嘘であるかを、今日はあなたに伝えたい。
あなたが「勉強していない」のではなく、あなたは、すでに最も本質的な美学の道を歩んでいる。
ただ、その事実に、気づいていないだけなのだ。
【本論】
第一章 「本物のアート」という世間体の嘘
美術館で本物を見なければ、本気ではない。
有名な講師に習わなければ、才能がない。
金をかけなければ、愛情が足りない。
世間は、こう囁く。
だが、それは世間が、あなたを支配するための、優雅な嘘である。
Etsyで、あなたが1000円を払い、ダウンロード購入した画集。
その画像の背後には、何があるか。
葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」であれば、江戸時代の職人の指が刻み込んだ木版画の溝が。
クリムトの「接吻」であれば、ウィーン分離派の闇夜の中で、ひとりの男が問い続けた「美とは何か」という問いが。
ダウンロード版だから、その価値は失われるのか。
違う。
むしろ、あなたが「お金がない」「時間がない」「環境がない」という、ただの制約条件の中で、それでも絵の前に立ちたい、知りたいという執念だけで、スマホを手に取った。
その選択は、美術館の発言権をもつ富裕層よりも、はるかに純粋である。
湿った手のひらで、スマホのホームボタンを押す。
フォルダを開く。
北斎の波が、あなたの視界に入る。
その瞬間、あなたは確かに、江戸時代の職人の手と、つながっている。
金額は、その接続の純度を決めない。
あなたの飢えだけが、それを決める。
第二章 「勉強法がない」という痛みを、肯定する
評論が書けない。
技法が説明できない。
SNSで見かける他人のコメント、「この透視図法は…」「バロック様式の特徴として…」という知識的な言葉遣いが、あなたにはできない。
そして、あなたはそれを、自分の不足だと感じている。
だが、その不足こそが、あなたの最大の武器である。
評論や技法の知識は、いつでも後付けできる。
YouTubeで学べる。
図書館の本で習える。
だが、「綺麗だと感じる感受性」「なぜ、その色がそこにあるのかを、理由なく理解する直感」は、金も教育も保証しない。
あなたが、Etsyで購入した画集の前で、何の説明もなく、ただただ心臓の鼓動が速くなる。
涙が出そうになる。
理由なく、好きだ。
その反応は、あなたが生まれつき、美と対話できる身体を持っているという、唯一の証拠である。
深夜のコンビニの蛍光灯の下で、あなたは、ダウンロードした画集をプリントアウトしているのかもしれない。
片手に熱いコーヒー。
もう片手は、震えている。
「こんな自分、本気じゃないんだ」と、呟きながら。
だが、その震える手は、嘘をつかない。
その手は、美に出会った時の、最も正直な応答である。
あなたには、「勉強法」がない。
あなたには、「正統な道」がない。
だからこそ、あなたは、世間体に汚されない、純粋な眼を保ち続ける。
それは、欠点ではなく、本来の強さなのだ。
第三章 「許し」の向こう側にある、自分の言葉
ここまで読んで、あなたは思うかもしれない。
「結局、自分を甘やかすための、綺麗な言葉なんじゃないか」
「本気でやりたいなら、もっと努力すべきなんじゃないか」
その声は、あなたの中の、最も厳しい声である。
その声は、正しい。
だが、同時に、それはあなたを殺す声でもある。
努力することは、大切だ。
勉強することは、価値がある。
だが、現在のあなたが、すべきことは、勉強の量ではなく、自分の内側の声を、信じることである。
Etsyで買った2000円の画集。
それを開く度に、あなたが感じる感動。
その感動は、あなた独自の「美学の始まり」である。
ダウンロード版だから、ニッチだから、「正統な」勉強ではないから、という理由で、その美学を否定してはいけない。
むしろ、あなたが今、やるべきことは、こうだ。
その画集の前で感じた、心の動きを、言語化する。
「なぜ、この色が好きなのか」
「なぜ、この構図に引き込まれるのか」
その問いに、答えるプロセスの中でこそ、評論の力も、知識も、勉強法も、自然と身についていく。
つまり、あなたの「勉強法」は、既に、始まっているのだ。
あなたは、ダウンロード画集という、最も手軽で、最も忠実な入口から、自分だけの美学史を構築している。
その道を、歩み続けることだけが、あなたに必要な「許し」である。
【特典】明日からできる、小さな儀式3選
儀式1:「感動の3行日記」
毎日、ダウンロード画集の中から、1枚選ぶ。
その画像の前で、30秒だけ、目を閉じる。
その後、以下の3行を、ノート(またはスマホのメモ帳)に書く。
【描写】この画像で、最初に目に入った色・形・場面は?
【感情】それを見た時、心の中で何が起きたか?
【つながり】この画像が、自分の人生のどこと、つながっているか?
この儀式は、あなたの感受性を、言語に翻訳するトレーニングになる。
知識ではなく、あなたの感動を、あなた自身の言葉で描写する力を育てる。
3ヶ月続けると、SNSの「正統な評論」では決して書かれない、あなただけの「美学論」が、自然と生まれている。
儀式2:「倍速学習の設定」
ダウンロード画集に出てくる、気に入った画家を選ぶ。
その画家について、調べる。
ただし、「正統な美術史」を学ぶのではなく、以下の質問に、答える形で。
・この画家は、どんな人生を生きたのか?
・なぜ、この色を愛したのか?
・この作品が生まれた時代は、世界で何が起きていたのか?
Google検索、Wikipedia、YouTubeの動画、何でもいい。
「正統な勉強」ではなく、あなたの好奇心を、データベース的に埋めていく。
この行為は、確実に、あなたの評論の底力になる。
だが、重要なのは、「知識を集めること」ではなく、「自分の感動と、歴史的背景を、つなぐこと」である。
儀式3:「深夜の手紙」
月に1度、夜中に、その月で最も心に残った画像を選ぶ。
そして、その画家に、手紙を書く。
「親愛なる北斎へ。あなたの『神奈川沖浪裏』を見て、今月、私は〇〇を感じました。」
という形で、1ページ分、自由に書く。
これは、絶対に誰かに見せるものではない。
あなたと、その画家の、時間を超えた対話である。
この儀式の中で、あなたは、確実に、その画家の内側へ、入り込んでいく。
そして、同時に、あなた自身の「美学的な思考」が、言語化される。
【結論】
あなたは、傷を持っている。
「本気ではない」という傷。
「勉強していない」という傷。
「環境がない」という傷。
その傷は、一生、消えないかもしれない。
だが、その傷こそが、あなたを、唯一無二の鑑賞者に変える。
本当のアート愛は、美術館の壁に掛けられていない。
一流の講師の言葉の中にもない。
それは、あなたのように、ダウンロード版の画集を、深夜、一人でスクロールしながら、
心臓を掴まれる、その瞬間の中にある。
Etsyで、2000円を払ったあなた。
その決定は、間違っていない。
むしろ、あなたは、本当のアートの入口に、すでに立っているのだ。
明日から、あなたが開く画集は、同じダウンロード版ではなくなる。
それは、あなたの、小さな美学史に変わっている。
その本を、進み続けるのだ。
ペースは、誰の指示も受けない。
金も、評判も、証明も、いらない。
あなたの、感動だけが、すべての答えである。
= 終 =
なかなかよく書けていますね。
Haiku も普通に使えそう。
特に軽い読み物にはいいかも。





