月別アーカイブ: 10月 2026

花魁の浮世絵の実験

浮世絵の研究中です。
AI を使っていろいろ遊んでいるだけですが。

「●○風の木版浮世絵美人画。
豪奢な日本髪を結い、多数の鼈甲風の簪(かんざし)を挿した美しい花魁のバストアップ。白磁のような肌、伏し目がちな涼しい目元、小さく紅を差した唇。手には細長い煙管(きせる)を持ち、煙管から細い白い煙がふわりと立ち上っている。衣装は朱色の着物に、薄橙色と白銀の柄の重ね襟。
背景は温かみのある無地の生成り色・和紙テクスチャ。
影のないフラットな柔らかい光、繊細で極細の輪郭線と毛割りの描写、伝統的な木版画のグラデーションぼかし技法。縦横比=2:3。」

というプロンプトを作りました。
●○のところに絵師の名前を入れます。

これを chatGPT 画伯に与えていろんな花魁像を描いてもらいます。

鳥居清長

喜多川歌麿

鳥文斎栄之

どれも実際よりは「引目鉤鼻」の程度が軽いですね。

次は浮世絵師ではないですが・・・

上村松園

ううむ、さすが松園さん、大正ロマンを感じます。

つぎはワタシ。

岩崎康

すごいのができた・・・
実写にしてみるか。

竹下景子の若い時に似てる?
「昔は花魁、今は老いらん」なんちゃって。

いずれにしろちょっと微妙ですね。

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日本の牛肉輸入の歴史

昔安い牛肉をダイエーで売っていたが、あれはなんだったのか と思い、日本の牛肉輸入の歴史について調べてみました。

今回は Claude に訊いてみました。

牛肉輸入のおおまかな歴史は?

明治〜大正:輸入はかなり古くから
明治初期から、品種改良のための生きた牛はたびたび輸入されていました。食肉としての輸入も大正期にははっきりあって、大正6〜10年には年平均6,400トンほどの青島牛肉などが入り、朝鮮牛も3万頭あまり輸入され、大正7年からは免税措置も取られていました。 

戦時中:輸入が止まる
戦争中に青島牛肉の輸入は止まり、国内の牛は軍の食糧として大量に処理されるようになりました。

戦後〜1950年代:外貨の制約
戦後しばらくは外貨そのものが乏しく、輸入は政府が外貨を割り当てる仕組みのもとで行われていました。牛肉に限らず、自由には買えない時代です(ここは一般的な戦後貿易の仕組みとしての説明です)。

1957年:牛肉の輸入割当制度が本格化
現在の日本食肉輸出入協会の前身は、牛肉の輸入割当制度の実施に伴って1957年に設立された「日本食肉輸入商社協議会」です。ちょうどダイエー創業と同じ年です。この枠のもとで輸入を実際に担っていたのは、三菱商事や丸紅、イトマンといった大手商社でした。スーパーが自由に輸入牛を仕入れられる状況ではなかったわけです。 

1960〜80年代:枠の運用と段階的拡大
枠の量は国産牛肉の値段を崩さない範囲で決めるのが建前で、輸入割当が国産牛肉価格を安定させる範囲内で行われることになっていました。その後、米国・豪州からの圧力で1982年には輸入枠を大幅に拡大することでアメリカと合意しています。

1988〜1991年:自由化
1988年6月に日米・日豪の牛肉交渉が合意し、1991年4月に自由化がスタート、初年度の関税は70%でした。

ポイントは、

  1. 牛肉と生きた牛の輸入とは別枠なので注意しないといけない
  2. 1957年に海外産牛肉を(割り当て枠内で)商社が輸入することが決まった。

ダイエーは商社が独占していた輸入枠がもらえなかったので、オーストラリアやアメリカから生きた牛を沖縄の自社牧場に持ち込んでそこで肥育し、精肉としてダイエーが店舗に持ち込んで(国内牛として?)売っていたわけですね。
しかも当時は沖縄はアメリカの管理下にあり関税が安かったので、その分安く売れたのです。
それが安さの秘密だったということですね(当時100gあたり70〜100円ほどだった牛肉を39円で売った)。

ダイエー以前の昭和30年代はじめまで、国産牛肉は「生産者 → 家畜商 → 食肉市場(枝肉のセリ)→ 仲卸 → 町の肉屋で対面の量り売り」という多段階の流通でした。
値段は流通側が決めるもので、牛肉は庶民にとって たまのごちそうでした。
輸入牛肉もこの値段を崩さない枠の中で売られていたのです。

しかし、ダイエー以後はスーパーが値段を決められるようになったわけです。
まさに流通革命ですね。

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